その日は5月なのに35℃の猛暑日だった
大分県日田市。「水郷日田」を流れる三隈川にほど近いのどかな集落で、止まらない汗を拭きつつVOICE編集部がたどり着いた先にあったのは、ずらりと並んだ茶色いパネル、パネル、パネル……。
近づいてよく見ると、全部土壁や漆喰壁のサンプルだ。
ここで間違いない。なぜなら、今回取材するのは日田で昭和30年代から左官業を営む「原田左研」の親方・原田進さんだからだ。
土壁をしげしげと眺めている我々に、「雨風で土壁がどう経年変化していくかを研究するために、サンプルを外に出しているそうですよ」と教えてくれたのは、先に到着していた九電不動産の石井さん。九電不動産は九州電力と共同で新しいマンションブランド『GROUNDI(グラウンディ)』を立ち上げ、石井さんはその担当者。福岡市中央区大濠で計画されている第1号物件『GROUNDI OHORI』に、原田さんの土壁が用いられるのだという。
「マンションの新ブランド立ち上げに関わるのは初めてなので、『GROUNDI OHORI』は私にとってとても思い入れの強いプロジェクトです。手仕事の風合いが魅力の左官壁、その中でも特に原田さんが塗る壁に惚れ込んで依頼したので、今日は左官としての信念や土への深い思いを聞くのを楽しみにしています」と目を輝かせる石井さん。
そこに、原田さんが登場。「こんな暑い日にようこそ」と工房内に案内してくれた。
「この前は、田植えの手伝いありがとうございました」と、石井さんに感謝を伝える原田さん。左官職人が田植えをして、それを石井さんが手伝った?その理由は、記事を読み進めてもらえればわかります。
左官職人が米作りに精を出す理由
工房内に足を踏み入れると、外にあったのと同じような土壁や漆喰壁のサンプルがずらり。何枚くらいあるのかというこちらの問いに「数えたことないですね」と笑いつつ、テーブルの上に土のサンプルが入った小瓶を並べ始める原田さん。早速、興味津々の石井さんがインタビューを始めた。
土壁は土の種類や配合物によって色味も風合いも千差万別。漆喰壁(白壁)の下地としても土壁は使われている。
「土や壁塗りのことなら何時間でも話せます」と原田さん。
こうやって並べてみると、土ごとに色も粒子感も違って興味深いですね。
石井さん
原田さん
これは日田の朝日町から出た朝日土。これは福岡市南区平和の平和土。その土地ごとで土は違うし、同じ土でも石灰をどれくらい混ぜるかで、色の薄まり方が変わってきます。
石井さん
原田さん
雨風に強くするための技法のひとつです。それからワラも大事ですよ。土だけだと塗った後にひび割れてしまうからワラを混ぜるのですが、ワラの長さや柔らかさで壁の風合いが違ってくるんです。うちで3種類の米を毎年育てているのは、収穫した後のワラが欲しいから。米はあくまで副産物です。
原田さんの壁がどうやって作られていくのかを少しでも体験したくて、田植えに参加させてもらいました。『GROUNDI OHORI』が完成した後、内覧会などでお客さまにワラからこだわった壁の話をしたいと思います。
石井さん
原田さん
ワラは品種ごとに硬さが違うので、使い分けています。それから、ワラを灰汁抜きするか、しないかでも色味は全然変わりますね。灰汁を抜かないで使うと、黄色味が強くなります。
「土、ワラ、石灰の配合パターンは無限にあるので、いろんな組み合わせを頭の中で想像し始めると、あっという間に時間が過ぎてしまう」と原田さん。
インタビューの1週間ほど前、石井さんと一緒に、「イセヒカリ」、「アサヒ」、「ヒノヒカリ」の3品種を田植え。イセヒカリのワラは硬め、アサヒのワラは柔らかめなのだそう。Ⓒ九電不動産
地下3メートルから掘り出した「大濠聚楽(じゅらく)」
左官職人の技は壁を塗る前から始まっているのだと、その奥深さに感嘆していると「そこまでする左官は、ほんのひと握りです。正確に把握しているわけではありませんが、日本中で数十人くらいしかいないと思います」と原田さん。一般的な左官業は、設計者から指定されたカタログの色味になる素材をメーカーから取り寄せて塗るのが主流なのだとか。
素材の配合から考えてオーダーメイドの壁を提案しても、施主のイメージ通りになるかわからない点に土壁の難しさがある。手間とリスクを考えると、原田さんのような左官職人が希少であることにも合点がいく。しかし、原田さんは山から土を採取し、ワラのために稲を育てる。左官職人として譲れないこだわりがあるからだ。
原田さんは、どうしてそこまで手間をかけてこだわるのでしょう?
石井さん
原田さん
壁を塗るのが左官の仕事じゃなくて、“壁と壁の間を塗る”のが左官職人であり、そこに自分の存在意義があると思っているからです。
「壁と壁の間を塗る」……素敵な言葉ですね。もう少し詳しく教えてください。
石井さん
原田さん
納得する仕事ができた時って、壁がきれいに塗れた時ではなくて、その空間がいい感じに仕上がった時なんです。左官職人は壁や天井を塗っているようで、実は壁と壁の間にある空気を塗っているんだなって、ある時、気づきました。同じように、“街と住まいの間を塗る”のも左官の仕事であるべきだから、その建物がある土地で採れた土を使って塗ることには意味があります。建物の外壁をその土地の土で塗り上げることで、建物はその土地の風土や景観に自然と馴染み、その地域ならではの落ち着きのある町並みが育まれていく。私は、左官には“建物と風土をつなぐ”という役割もあると考えています。
とても共感します。『GROUNDI』のブランド名には、その土地で育まれる自然や風土に敬意を払いながら住まうという思いが込められていて、「土地を尊ぶ」住まいづくりをコンセプトにしています。だからこそ原田さんに、マンションが建つ大濠の土を使って壁を塗ってほしかったんです。
石井さん
“壁と壁の間”にある、その土地の記憶や空気感まで塗っていく。「道具を整えることは職人として当たり前。気持ちを整えて塗ることが大事だと思っています」と原田さん。©九電不動産
原田さん
地盤調査の時に掘った土を見せてもらったら、地下2〜3メートルくらいの土がほんのり浅黄色で、「これは面白い」と直感しました。
土を見た途端、原田さんの気持ちが高揚しているのが私にも伝わってきました。
石井さん
原田さん
かつて、豊臣秀吉が京都に建てた聚楽第(じゅらくだい)付近で採取される「聚楽土」を使った土壁(聚楽壁)があって、茶室などに好まれる上品な風合いが特徴です。それに近い色や質感が出せそうだと思ったので、土の名前を「大濠聚楽」に決めました。
微妙な違いのサンプルを原田さんにたくさん作ってもらって、デザイナーさんを交えて検討しているところです。「大濠聚楽」を使った壁がどんな仕上がりになるのか、私も楽しみです。
石井さん
手前の土が『GROUNDI OHORI』が建つ地盤から採取された「大濠聚楽」の源土。
塗って終わりじゃない、風合いが育つ土壁の魅力
「土地を尊ぶ」をコンセプトに掲げる九電不動産の『GROUNDI』、土地ごとの土を使って壁を塗ることに価値を見出す原田さん。互いが思う土や土壁の魅力について語り合っていると、話題は思わぬ方向へと進んでいった。
原田さんはよく「土壁の空間は“なんか心地いい”のが良さだ」って言われてますね。
石井さん
原田さん
人が心地よく感じる理由なんて、言葉で説明できませんよね。お客さんから「なんか気持ちいい」「なんとなく好き」って言われるのが、私にとっては一番の褒め言葉です。説明できないとは思いつつ、実は腸内細菌が心地よさに関係しているのではないかと考えています。
腸内細菌と土壁の心地よさが、どう関係しているのですか?
石井さん
原田さん
土壁の空間には土の中にあった土壌菌が漂っているはずです。腸内細菌のルーツは食物が育つ土壌にあるから、土壌菌と腸内細菌が共鳴し、身体が喜んで心地よく感じるということはあり得ると思っています。
石井さん
原田さん
実証されているわけではなく、私の考えですけどね。とはいえ、そんなに難しく考えなくても、本能的に人は土があると落ち着きます。福岡のある商業施設の花壇の側面に土を塗ったことがあって、花壇の横を歩く人が土壁をすーっと触れていくんです。多分、無意識で。あの光景を見て嬉しかったし、「人は土があると安心するんだ」と感じました。
住宅のみならず公共施設や寺院、店舗など、さまざまな建物で原田さんの塗った土壁は、その空間に心地よさを生んでいる。(写真は福岡県うきは市にある『ZELKOVA COFFEE』)©九電不動産
私が思う土壁の魅力は“変わり続けること”なんです。1日の中でも光や温度、湿度とかで、その場の空気が変わっていくし、月日を重ねると風合いが変わっていく。壁を塗り終えて完成ではなくて、使われながら、手を加えながら風合いが育っていくことに土壁の良さがあると思います。「経年変化を楽しめる、ずっしりとした住宅」というのも、『GROUNDI OHORI』のデザインコンセプトです。
石井さん
「こうやってルーペで覗くと私には宇宙が見えます」
「確かに、いろんな粒が混ざって星みたいですね」
本質的に豊かな住まいとは
話上手な原田さんの言葉にぐいぐい引き込まれつつ、いつしかインタビューは「住まいとは」「豊かさとは」といったテーマにまで深まっていった。
「土地を尊ぶ」という『GROUNDI』のコンセプトを決めるにあたっては、本質的に豊かな住まいとは何かを考えました。原田さんにとって、豊かな住まい、豊かな暮らしとは、どういうことですか?
石井さん
原田さん
「無理がない」「自然である」、それが私にとっての豊かさです。だから土壁が好きなんです。土壁って基本的に土と水だけだから、メンテナンスはシンプルです。土を剥がして、水でこねて、塗り直す、それだけ。土壁に限らず住み続ければメンテナンスは必要ですが、再生の過程に無理がないことは、豊かな住まい、豊かな暮らしにつながるのではないでしょうか。
手間はかかるけど、無理がない。その土地の土を使うことの意義にもつながりますね。
石井さん
原田さん
だから、本当はマンションの壁も天井も全部土にするのがいいとは思いますが、それは現実的ではないので、“土を人に近づける”ことをやっているところです。
「土を人に近づける」。また興味深い言葉が出てきたので、解説をお願いします。
石井さん
原田さん
例えば純度100%の土壁は壊れやすいし、乾き切るまでにも時間がかかります。それがネックになって土壁を諦めるのではなくて、土に混ぜ物をすれば生活空間として支障がない強度の高い土壁ができます。建物の一部分だけでも、混ぜ物をした土壁でも、少しでも生活空間に土があれば人は安心します。だから、まずは土を人に近づけて、土のある暮らしを感じてもらいたいと思っています。
『GROUNDI OHORI』の一部に塗られる原田さんの土壁も、住んでいる方たちに無意識のうちに温度感や柔らかさが伝わり、どこか心地よいと感じてもらえる空間になれば嬉しいですね。
石井さん
原田さん
実際にお客さんから「時間がかかってもいいから本物の土壁でお願いします」と言われることが、ちょっとずつ増えています。“土を人に”近づけながら、徐々に“人を土に”近づけていく。それが私のやりたいことです。
「これだけ土のことを知り尽くされていても、まだわからないことってあるんですか?」という石井さんの問いかけに、「いくらでもあります。研究したいことだらけです」と原田さん。
均質じゃないこと、非効率なことに価値を見出す
原田さんの哲学に触れ、大満足の表情で工房を後にした石井さん。
「均質で効率的なものが求められる時代だからこそ、作り手である原田さんの魂や、大濠の土地の記憶が宿った『GROUNDI OHORI』の土壁が、時間や季節、使い手によって表情を変えていくことに価値があると思っています。
その土地の土を使うことは、言うのは簡単ですが、工事中に現場の土を採取して、そこから不純物を取り除いて、左官壁に使える土に振り分ける、ものすごく手間のかかる作業だと思います。それに楽しそうに取り組む原田さんの姿から、土への愛情や左官職人としてのプライドを感じて尊敬しています。職種は違えど、住まいに向き合うプロフェッショナルとして憧れの存在ですね」(石井さん)
我々編集部も、土への愛があふれて話が止まらない原田さんに後ろ髪を引かれつつ、「壁と壁の間を塗る」、「土を人に近づける」という、ぬくもりのある言葉を思い返し、原田さんが塗った土壁に触れてみたい!そんな衝動にかられながら帰路についたのであった。
原田さんが塗る「大濠聚楽」の土壁は、2028年3月に完成予定の『GROUNDI OHORI』1階の共用スペースに用いられる予定。©九電不動産
GROUNDI
その土地が持つ自然や風土を深く読み解き、建築空間に再構築することで、その土地の魅力を住まいに昇華させるハイエンドレジデンスブランド。フラッグシップとなる第1号物件として福岡市中央区大濠1丁目に誕生する『GROUNDI OHORI』は、世界的インテリアデザイナーWonderwall®片山正通さんが建築及びインテリアデザインを手掛け、2028年3月完成予定となっている。
原田 進さん
1930年に創業した「原田左研」2代目。高校卒業後に左官の第一人者、久住 章さんのもとで修業を積み、1996年に父の跡を継いで親方に。福岡県香椎の「東照寺別院納骨堂」や「いいちこ」で知られる三和酒類の「安心院葡萄酒工房」、日田市の市民ホール「パトリア日田」などを手がける。左官文化を後世に遺すため、2012年には日本左官会議の初代議長に就任した。
株式会社原田左研